なみだいありー

書きたいこと

俺の根源

哲学的で宗教的で俺以外に適用できない話です。

 

保育園のころから本を読むのが好きだったのでたくさんの本を読んでいた。その中の1冊として100万回生きたねこを読んだ。

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この猫は死んでは生き返り次の人生(猫生)を歩む。100万回の死が訪れても100万1回めの生を体験できる。昔の俺はねこが愛を知って涙を流した最後のシーンの意味までは理解ができなかったけれど、この絵本によって死と生という概念をおぼろげながら理解した。そのときに考えたのは100万回生きたねこも白猫も死なずに生き続ければ幸せだったんじゃないかということだった。

 

死んだら終わり、生きていれば勝ち

この概念が俺の中で育っていった。その思想の成長を示すためによくある妄想の話をしよう。

小学生のころとか教室にテロリストが乱入してくる妄想とかしたことがないか?唐突に銃を構えた黒ずくめの武装集団が教室のドアを開けて「一歩も動くな!声を上げるな!動いた奴も騒いだやつも殺す!」とか言いながら入ってくるやつね。

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こっから先の展開ではアーノルドシュワルツェネッガー並の身体能力を発揮して武装集団を全員ボコボコにして英雄になるというのが鉄板なのではないだろうか。一人だけ逃げ出すとかいろいろパターンがあると思うのだがその時俺が考えていたのは「とりあえず誰かに声を上げさせよう」だった。

前提条件を確認しよう、敵は武装集団、こちらは子供で戦闘能力はなし。まともにやりあっても生き残る見込みはほぼない。すると武装集団の言いなりになるのが俺が生き残る手段としては最も正しいわけだ。ここまではいいだろう。その後動いたものが銃撃されるルールをクラスに浸透させなければ目の前で騒いだやつを狙った流れ弾が俺に当たるかもしれない、そう考えたら自然と「俺に流れ弾が当たる恐れのないやつを銃撃させて安全を確保しよう」となるだろう?そのためこの後の妄想は消しゴムのカスとか鉛筆とかを俺と気づかれないように遠くのやつにぶつける方法などへ派生するわけだ。なんなら銃撃されるときに周りのやつが盾となる位置関係にいられればなおいいだろう。

友人の生死も武装集団のその後も俺が生きていなければ確認することができないから自分の生存を優先度の最上位におく。何があっても絶対にこの優先度は揺らぐことがない、例え恋人を人質にされようが地球を滅ぼすといわれようがなによりもまず確認しなくてはならないのはその選択の結果俺が生きているかどうか、である。

 

小中学生のころに哲学的問題や道徳的問題を考えさせられることも多かったよな。有名なのがトロッコ問題だろうか。制御不能になったトロッコの先に5人の人間がいる。自分は分岐器のそばに立っており、切り替えるとその先には1人の人間がいる。このとき分岐器を操作するかどうか、また操作するのは許されるかどうかというのがトロッコ問題だ。

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 さて、ここで俺が生き残るためにはどうすればいいだろうか?。これより先ありとあらゆる問題においてすべての思考の出発点はここである。するとすぐに答えは出る、できる限り線路から離れるである。制御不能なトロッコなんて危険なものが脱線する恐れがないなんて誰が保証してくれるんだ?自分の安全を確保できたら線路上の人間たちに危険を呼びかけよう、優先順位に沿って判断するだけなので非常にシンプルな問題だ。仮に自分の安全が確保されていたとしたら自分の責任問題を回避するためにパニックを装って分岐器には触れない。死刑になる恐れがある案件には手を出さない、当たり前の話だ。

 

 生きるための思考を続けていくとじゃあ寿命からはどうやって逃れればいいんだ?という話になるのも自然だろう。もうこの時点で死んだらどうなるのか、など考えると恐怖で体がすくんで歯を食いしばらないと動けないほど死に対して恐怖感が高まっている。世の中の人間たちはどうやって生きようとしているんだろう、そう思い調べると出てくるのは宗教である。聖書を読んだら死後の世界をよりよいものとするために清廉潔白な人生を過ごしましょう、という内容が書いてあった。

俺はこの時点で十字教に対して見切りをつけた。死後の世界なんてものは死を受け入れた先にしかない。つまり死なない方法を模索するのをやめている、論外だ。数多の宗教や神話では死後の世界が登場する、どうやら死の先があるらしい。違うだろ、そんなものじゃないだろ、俺が求めているのは死なない方法だ。死んだって大丈夫なんてふざけた理論の話は聞いてない。

 

地球上のすべての生物は生存に向けて進化適応し続けている。その中でもとりわけ"人間"は素晴らしい。個体の増殖や世代の入れ替わりにより進化適応を繰り返す生物の中で唯一"人間"は知識という別の手法でホモ・ハビリスの誕生から200万年程度で食物連鎖の頂点となり数を増やし寿命を延ばし続けている。"人間"に生まれてよかった、ほかの生物だったら不死へ向けた行動なんて何一つできないから。ただし人体のクローン作成を禁じた国連だけは理解ができない。"人間"の発展を阻む悪魔の使いなのではないかと日々疑っている。

 

それぐらい死が怖いので安易に「死にたい」と口に出す輩を本当に心の底から別の生き物だと思っている。ほぼすべては冗談のつもりで深く考えていないのだろうが俺からしてみたら、冗談だとしても俺のすべてを否定するようなセリフなので言わないと死ぬような場面以外で口に出すことは未来永劫ないだろう。死にたいんだったその残りの分の寿命を俺にくれ。その身に降りかかる理不尽もつらさもすべて受け入れるから一分一秒でも俺に長く生きさせてくれ。"人間"が死を克服するまで俺は生きたいんだ。

 

なあ、俺が明日生き残るためにはどうすればいい?

 

 

 

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こういうキャラクターが出てくる作品がありまして、『蜘蛛ですがなにか?』っていうんです。

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この作中でおそらくぼく以外の全読者のヘイトを集めているポティマス・ハァイフェナスですね。

https://ncode.syosetu.com/n7975cr/

こちらになろうのリンクを貼っておくのでぜひ読んでください。487話の過去編①からの話がポティマス・ハァイフェナスの真相です。張り巡らせた伏線や隠された事実のほとんどが明らかになるのがそこからなので途中で読むのを諦めてしまった人もそこだけでいいので読んでいただきたい。