なみだいありー

書きたいこと

勝利と努力

こんにちは、うるうるです。
最近Pokemon World Champion Ships2023(以下、WCS2023)にて、意図的に対戦相手に勝利を譲る八百長行為が問題となっています。毎年のように発生し話題に上がる問題ではあるのですが、今年は公式の大会運営が例年に比べ杜撰だったことも加熱材となりSNS上で大きく燃え上がっています。
私の過去の思想では不正をしてでも勝利をつかみたいと願う選手の熱意に敬意を覚えていましたが、近頃はその考えも変わってきましたのでなぜそのような思想の変化があったかについて思考整理も含めここに言語化しておこうと思います。
今回の問題についてどのように解決させるべきかはここでは議論をしません。

最終目票は勝利

思考の対象となるのは、競技としての最終目標が勝利である場合のみです。面白い試合をして興行収入の増加を狙う、製品の宣伝のため優れている部分を見せる、思い出として残すため特定の行動を大きな場で実践するなど選手にとって勝利以外の目的の比重が最大となる場合は私の思考では別のパターンとなります。

勝利のため選手は全力を尽くす

最終目的が勝利の場合は、選手は勝利という結果を得るため競技の内外を問わずありとあらゆる努力を行うものだと考えています。競技の技術を磨く、戦えるだけの体力を用意する、当日のコンディションを万全なものに整える、有識者間で有用な情報を共有する、競技に最も有利になる道具を入手するなど競技の範囲内でのありとあらゆる努力を含みます。また勝利を至上目的とする選手の努力のうちには、試合前に相手と談合を行い勝利を譲ってもらう、自分に有利になるようにルールを変更する、対戦相手を失格に追い込むなどの手段も当然含まれます。これらの努力のうちの後半の一般的に禁止されている部分についてなぜ禁止されているかを考えましょう。

不正行為は競技の技術向上の妨げになりうる

八百長行為などを筆頭とした努力を許してしまうと、勝利の構成要素のうち競技の枠組みの努力の比重が小さくなり結果としてその競技特有の要素が薄れてしまうことが問題だと考えられます。極端な例をあげるとすると、野球の試合を行うのに選手たちが球を投げも打ちもせずにじゃんけんで勝敗を決めることは野球と呼べるでしょうか?そして、この場合に選手の努力は如何にしてじゃんけんに勝つかという方向へ向かいます。つまり、一般に不正と呼ばれる行為が許された場合、選手は競技の技術を磨かなくなる恐れがあるため不正行為を許してはならないというのが私の現時点での結論です。
レベルの高い競技の興行として、我々一般人では実現不可能なパフォーマンスを観たいものです。野球を見に来たのであればバットで球を打ちその結果で一喜一憂したいのが一般的な感性でしょう。

ルールで競技以外の比重を制限する

選手は勝利を目指す、観客は最高のパフォーマンスを観たいという要求を合致させるためにはルールで競技部分以外の要素を可能な限り制限し、選手の努力の方向性を競技の技術を高めることに向かわせる必要があります。仕組みとルールを整備し、競技外での努力が勝利から遠ざかる結果をもたらすとすれば選手は勝利のため競技内での努力を積み重ねていくでしょう。

ルール違反の罰は重すぎてもいけない

ただし注意をしなければならないのはルールの厳正化と違反したときの罰を重くし過ぎても問題が発生することです。競技内で技術を高めるよりも対戦相手の違反を指摘して罰を与えた方が勝利に近づく可能性が出てきてしまうからです。そのため競技の技術を高めることがすべてに優先するような最適なルール、罰を与える制度を構築しなくてはいけません。しかし現存する競技でこれを行うことは不可能に限りなく近いと考えられます。

選手の競技以外の部分も観客の評価に入る

よってマナーだとか礼儀だとかそういった選手個人の善性に依存することが現実としての落としどころとなります。そして善性に依存するということは観客は競技のパフォーマンスだけではなく選手の善性による所作も評価の対象に入れてしまうことになります。ただし、観客はルールで定められている以上に適正な評価をし、適切な罰を判断する能力は持ちえません。これが不正行為を行った、または疑わしい選手に対して観客が怒りや意見をぶつける余地を生み出してしまうことになります。これがいわゆるSNSなどによる炎上の一つの説明になるのではないでしょうか。

結論

さて、これ以上長くなっても脱線が続くだけだと思いますので結論を述べます。
不正は競技の技術向上の妨げになるため許してはいけない。ただし完璧な制度が作成できない以上は不正は起こってしまうし、外野から不要な私刑も行われてしまう。
以上の結論は性善説を基に導いたものですので、性悪説を基にするならば透明性が高く非常に厳格な罰を与える審判機構から論じるべきだと思います。


私はね、不正行為の上手さや権力を如何にして高めるかという競争が見たいわけではなく人間にとって発揮できる限界のパフォーマンスが見たいんです。ありとあらゆるリソースを技術向上に注ぎ込んだ人間がもっと増えてほしい。マイケルジョーダン、ウサインボルト、大谷翔平、それでもまだ上を目指せるだろう。私では実現できない最高の性能を見せてくれ。