なみだいありー

書きたいこと

あなたの感情はあなたのもの

世に数多の形の膨大な作品があふれ、それらにアクセスする方法も手ごろにあり、起きてから寝るまで全身で芸術を浴びて生きています。世は大SNS時代、良いと思ったものも悪いと思ったものも、自らが触れたものについて語り合う手段も相手も無数に存在します。自分と違った視点からの意見、自分ではうまく表現できなかった感情、作品だけに留まらず同じ作品を体験した他人の、読んで聞いて楽しめる良質なレビュー。別の方に同じ作品について語る時にもそれらの感想を借りて、相手に伝え、る。自分はさほど悪いと思っていなくても、世間では評判が非常に、悪く、声を、大にして、好きな部分を、伝えにくい。果ては、体験し、ない作品の評判、で作品の、印象、を決め作り手に失、望する……?

これって少し変だと思いませんか。あなたが作品を体験してあなたが感じたものをあなたが表現したものがあなたの感想ではないのでしょうか。他の文章表現がうまかったり作品の理解が非常に深かったりする人の意見をあなたの意見として自分の中ですり替えてしまってもいいのでしょうか。自分の感じていてうまく言葉にできなかった部分が文章となって現れただけであればいつかは思考がたどり着く先ですが、少し趣は違っても影響力のある他人の筋が通っている意見に乗り換えてしまいますか?そうしてあなたの感じた最初の感情はあなたによって隠され、消え、いつしかあなたは自分の意見ではなく人の意見を自分のものだと信じ込んで生きていくようになっていませんか。

あなたとほかの人は違うのに完全に同じことを感じ続けるのはおそらく無理ではないでしょうか。でしたらあなたの感情をそのまま出すことが作品に対するあなたの評価としてふさわしいのではないでしょうか。

感情を完全に表現しきるのは確かに難しい。絵がきれいだったとか、○○の伏線がこうつながっただとか、△△の場面は社会問題の風刺になっていて刺さっただとか作品に対して事細かに感じたすべてを表現するのは非常に労力のいることですし、表現するだけの文章力だって必要です。
ただ、面白かったかつまらなかったかそのどちらかは確実に感じているでしょう?その感情に理由なんて必要ありません。絵がきれいだったら面白いのか?ストーリーが緻密に構成されていれば面白いのか?それらの事実や考察はあなたの感情を他人が共感しやすくするための補助的なものであり、決して感情より先に来るべきものではないと思っています。

あなたの感情は、意見は、願いはあなただけのものであり他の何物によっても浸食されるべきではないものです。
ぜひ自分の気に入った作品があれば他の人の意見を借りず表現してみてください。自分が信じた意見と違うものがあってもそれは当人にとっては正しいものかもしれません。物理法則のように正しいものが決まっているわけではなく各々の感じたものそれこそが大事だと思っています。

 

だから私も声を大にして言いましょう。

百合の間に挟まる汚いおっさんは必要です。